ジャンク系ラーメンの王道『ラーメン二郎』
今や暖簾分けやインスパイア店などを含めると、65店舗近くあるという「ラーメン二郎」。ラーメン好きならその名を聞いたことがない人はいないのではないだろうか。
今回は、そんなジャンク系ラーメンの王道「ラーメン二郎」創業者・山田さんの経歴や「ラーメン二郎」の始まりなど、熱狂的ファンを抱える「ラーメン二郎」誕生の歴史に迫っていく。
熱狂的「ジロリアン」
「ラーメン二郎」には熱狂的ファンが多い。そんな熱狂的「ラーメン二郎」ファンのことを、「ジロリアン」という。
「ジロリアン」の特徴は、とにかく低姿勢であること。世界に一つしかない革命的なラーメンを食べられることへの並々ならぬ感謝の気持ちがそうさせているようだ。
そんな「ジロリアン」には、独特の注文方法(ジロリアンは”コール”と呼ぶ)がある。
「ニンニクマシマシヤサイアブラマシ」
何かの呪文のようにも思えるが、これはニンニクを入れるのか、トッピングの野菜や背脂の量はどうするのかなど、注文するラーメンに大して細かな注文ができるのだ。
上級者は席につくなり「ニンニクマシマシヤサイアブラマシ」と唱えるが、初心者はニンニクとだけ言うのが無難だそうだ。
「二郎」ラーメンの大きさには大と小があるが、小でも普通のラーメンの大盛りレベルである。
遊び心と人間味あふれる社訓
そんな「ラーメン二郎」 三田本店の社訓がこちら。
ラーメン二郎 三田本店 社訓
一、清く正しく美しく、散歩に読書にニコニコ貯金、週末は釣り、ゴルフ、社訓
二、世のため人のため社会のため
三、Love&Peace&Togetherness
四、ごめんなさい、ひとこと言えるその勇気
五、味の乱れは心の乱れ、心の乱れは家庭の乱れ、家庭の乱れは社会の乱れ、社会の乱れは国の乱れ、国の乱れは宇宙の乱れ
六、ニンニク入れますか?
ちょっと遊び心もありながら、飲食業としてお客さんへの誠意も忘れない、さらには世界平和でさえもうたっているように思える、人間味あふれる社訓である。
「二郎はラーメンじゃない」
ラーメン二郎の店内の壁に書かれている文字がある。それは、「二郎はラーメンじゃない。二郎っていう食べ物だ」というもの。
今や多くの熱狂的ファンを抱えるラーメン「二郎」は、もはやラーメンという枠にはとらわれるものではなく、前例のない「食べ物」なのである。
そのたった1杯の「二郎」が開発されたことで、ラーメン業界に革命が起こったということだ。
そんな「ラーメン二郎」誕生の歴史をご紹介していく。
「ラーメン二郎」誕生の歴史
1968年(昭和43年)創業
「ラーメン二郎」は、1968年(昭和43年)に創業。東京都目黒区の東京都立大学近くで開店した。
開店当初は、当時人気だった「ラーメン太郎」というインスタントラーメンにちなんで、「ラーメン次郎」という店名で営業していたという。
その後、1970年代に店舗が移転する際、ペンキ屋が新店舗の看板の記載を「二郎」と間違えたため、現在の「ラーメン二郎」になったそうだ。
看板の記載も「次郎」に訂正することなく「そのままでいこう」としていたあたり、店主のいいかげんさ器量の大きさを感じさせる。
来客が少なく、半年後に廃業
今や暖簾分けやインスパイア店などを含めると65店舗近くあるという「ラーメン二郎」だが、開店後半年くらいは全然お客さんが来なかったという。
それもそのはず、「ラーメン二郎」の店主であり創業者でもある山田拓美さんは、もともとラーメンを作ったこともろくに食べたこともなかったというのだ。
「取り立ててラーメンが好きでもなかった」と語る山田さん。ならどうしてラーメン屋をやろうとしたのだ。
当時は、「屋台のラーメンぐらい簡単だろう」とタカをくくっていたそう。そしてついに半年目にして、店を閉じる決意をする。
学生4人組が店にやってくる
廃業を決意してからは、酒を飲みながら店番をしていたという山田さん。そんなある時、4人組の学生が店にやってきたという。
ラーメンを食べたいという学生4人組であったが、山田さんはかなり酔っ払っていたこともあり「欲しけりゃ勝手に自分で作れ」なんて言ってしまったそうだ。
すると学生たちは本当にラーメンを作り始め、山田さんも面白そうにそれを眺めていたという。いいかげんである。
「このラーメンはうまくない」
いよいよラーメンが完成し、学生たちと酒を飲みながら語り合う山田さん。すると学生たちは「こんなラーメンじゃ売れるわけない」と語り出す。
山田さんは、だから廃業するつもりだと言い返すも、学生たちは「明日も来るから明日もやれよ」と言ったのだそうだ。
案の定、学生たちには次の日も「うまくない」と言われてしまう。落ち込む山田さんであったが、学生たちは「今度は友達も連れてくる」と言ったという。
ラーメンを1から研究することを決意
そこで山田さんは「このままでは終われない」という気持ちが湧き上がってきたという。ラーメンとはどういうものか、1から勉強しようと決意したのである。
営業時間を夜のみにし、昼は中華料理屋でのアルバイトを開始。そこから1ヶ月間、山田さんのラーメン修行が始まった。
当時は、ラーメンのスープを寸胴でとるということすら知らず、普通の鍋を使っていたというくらい、ラーメンに関する知識がなかったという山田さん。毎日が驚きの連続だったという。
試行錯誤の末、「ラーメン二郎」の味が完成
もっと脂っこく、もっと味を濃く、と試行錯誤を繰り返し、自分の中でラーメンのイメージをふくらませていった。そして、わずか2週間後にして、現在の「ラーメン二郎」の味を作り上げた。
麺は太い麺、スープは2本作ってブレンドさせる。さらに、醤油の塩味を抜く。あらゆる工夫を凝らし、山田さんの思い描くラーメンが完成したのである。
「ラーメン作りは、誰にも教わっていない」
驚くべきことに山田さんは、「ラーメン作りは、誰にも教わっていない」と語る。味も麺も全部自分の好みで決めたそうだ。
そして、ついに自作のラーメンを完成させたときには、「これでいける」という自信にみなぎっていたという。
そして、その新作のラーメンを学生たちに食べさせたところ、大好評。ここから「ラーメン二郎」の歴史が幕を開けたのである。
まだ訪れたことがないという方は、是非この革命的ラーメン店「ラーメン二郎」に足を運んでみてはいかがだろうか。